なぜ、「何がわからないのかわからない」のか
誰もが陥ったことのある「何がわからないのかわからない」という思考状態。なぜ、こんなことになるのでしょうか。
ここでは、「何がわからないのかわからない」状態になってしまう理由を掘り下げていきます。
「わからないことがあったら聞いて」と言ったのに、何も聞いてこない。順調なのかと思ったら手は止まっている…。こんなとき、「聞いてと言ったのに何で聞いてこないんだろう? 嫌われている? 緊張しすぎている? 聞ける空気じゃない?」とあれこれ考えてしまいますが、多くの場合で、本人がわからない場所を特定できていないケースが考えられます。
「何を聞いていいのかわからない。自分は何がわからなくて、何をわかるようになったらこの仕事がわかるのか、それがわからない。いったい今、この瞬間に何をしたらいいのか、それもわからない」という迷子状態であると考えられます。
つまり、「何がわからないのかわからない」状態です。
仕事を始めたころ、「なんでこんなことがわからない?」と言われたり、思われたりしたことはありますか。これも、本人にとっては「何がわからないのかがわからない」ので、「こんなこと」に当たる部分すらわかりいません。そして、「こんなこと」がわかっていない自分にすら気づいていないかもしれません。
「何がわからないのかわからない」原因とは
「何がわからないのかわからない」理由はなんでしょうか。いくつかの理由をあげてみます。
難しすぎてわからない
たとえば、難解な数学の問題に取り組んだとき、二次方程式の解の公式とか、微分積分とか、難しすぎてもう、「何がわからないのかわからない」と思った人も多いでしょう。
仕事を覚え始めたころ、知らない言葉、知らない方法、知らない世界に戸惑い、覚えることが多すぎて「何がわからないのかわからない」状態になったことは誰しもあるでしょう。
そんなとき、周りから「なんでも聞いて」とか、「わからないことがあれば教えるよ」と言われても、「あの、何がわからないのか教えて下さい」とは聞けません。そんなことを聞いたら「やる気あるの?」、「馬鹿にしているの?」と思われてしまうかもしれません。
スピードについて行けずわからない
仕事を覚え始めのころは、次から次へと覚えなければいけないことが降りかかってきて、さらに経験ばかりが先走るので理解がついていかなくなります。
こんなふうにスピードについていけなくなったとき、「何がわからないのかわからない」状態に陥ってしまうのです。
新人の頃は、「このくらいが出来ないのはおかしいのかもしれない」と思ってしまい、「スピードについていけません」とは言いにくいものです。すると、さらに理解が遅れてしまい、「何がわからないのかわからない」状態から抜け出すことができなくなります。
前提知識ができていないからわからない
たとえば、足し算が出来ないのに、「飴玉が5個あります。みかさんが飴玉を7個くれました。飴玉は全部でいくつになりましたか」という文章問題を解こうとしてもわかるわけはありません。
このとき、周りが「どこがわからないの? 最初に飴玉が5個あるよね。それで、あとから…」と説明されても、そもそもの知識がないので文章の意味が理解できません。
エクセルを知らない人に、「商品の価格が入るセルは赤にして、別のシートに取引先の…」と指示されても、セルもシートもわかりません。
この例であれば「セルって?」と質問の仕方は浮かびますが(質問できるかは別として)、多くの場合はふわっと理解している状態で、難しい仕事の話をされるので、そもそもの知識が足りずついていけなくなります。そこで、「今の話のどこがわからなかった?」と聞かれたとしても、前提となる知識不足でチンプンカンプンだったわけですから、これはもう「何がわからないのかわからない」状態です。
全体像が見えていないからわからない
たとえば、Aというゲームのプログラムを組んでいるとしましょう。すでに完成しているゲームであるBのプログラムがあって、「同じように作って。Aで使えるようにさ」と言われ、固有名詞などを変更しながら作っていたとします。しかし、本人は、これがどこで使われていて、どのような働きをするものなのかさっぱりわかっていません。
全体像からみて、今やっていることがどの部分なのかがわかっていないのです。こうなると、そのプログラムが「そんなわけない動き」をしていたとしても気づくわけがありません。
たとえば「お金を預けるところで、3万ポイントを預けても、所持しているポイントが3万減らないこと」がおかしいことに気づけません。なんせ何をやっているのかわからないのですから当然です。
全体像が見えていないと、今やっている作業が何をするものなのか、何を求められているのか、何に繋がるのかがわからなくなります。そんな状態で仕事をしていると、マネしたり、その場をなんとなくやり過ごしたり、言われたことだけをすることしかできなくなります。
「何がわからないのかわからない」のです。
カンが働かないからわからない
「ああ、そうか!」とピンとくる瞬間は人によって差があるものです。カンが悪いひともいれば、すぐに気がつく人もいます。
この、ピンとくる瞬間は、脳の中ではいくつもの記憶がパパパーっと繋がっています。その記憶の繋がりが、自分の中にある記憶を呼び出して意識に上げてくれることで「ああ、そうか!」とわかるのです。
特に言葉で説明しにくいことは、この「ピンとくる」ことに頼りたくなります。「言っていることわかる?」と言葉にしたことはありますか? このとき、この言葉を口にした人は、「わかってほしい、ピンときてほしい」と思っているはずです。
もし、「ピンと来ていないかな?」という人がいたなら、記憶の繋がりを作ってあげられるようなヒントを、イメージでも身振り手振りでも、わかる範囲の単語でも、出し続けることで、「ああ、そうか!」を導きだせる可能性が高まります。
何となくでやっているからわからない
理解も不十分なまま、何となく仕事をしていて、特に疑問も持たず、深く考えもせずに仕事をしていると、「何がわからないのかわからない」状態に陥りやすくなります。
そもそも考えが浅いので、周りからミスを指摘されても、「〇〇さんが違うっていうんだから違うのかー」とそこに疑問も持たず、自分で考えることをしません。
何となくで仕事をしているので、特にわからないことに気づいたり、わからないことに疑問を持たないため、そもそも考えていないがゆえの「何がわからないのかわからない」という状態が生まれてしまいます。
言われたことだけやっているからわからない
言われたことだけやっている人はその仕事についての疑問を持つことが少なく、言われたことをただ淡々とこなしてしまいがちです。
言われたことだけをする人は、成長しようという意思や好奇心が薄く、その為、自分から「どうやればもっとできるようになるか?」、「何を求められているんだろう?」と考える機会に乏しく、指示待ち人間に陥ってしまいます。
自ら疑問を持たない状態が続くと、「何がわからないのか」を考えることをしないので、当然「わからない」ままです。
エクセルで「こういう表を作ってほしい」と頼んで、出来上がったものを見ると当然あるべき欄が無かったとします。これを作った本人に言っても、彼らは「指示になかったから」とか、「それなら伝えておいてほしい」、「言ってくれないとわからない」と思うだけでしょう。
この場合、「何か、わからないことがあれば聞いて」と言っても、疑問にすら思っていないので「全部わかっている」と考えて作業を進めてしまうだけです。
「何がわからないのかわからない」というより、「わからないことがあることに気づいていない」という方が的確かもしれませんが、「わからないことがわかっていない」状態は同じです。
とっかかりがないからわからない
たとえば、「○×制度についてわからなかったの? この報告書に盛り込まれてないけれど?」と、言われたとします。言われた側が、「〇×制度って何?」という状態だったらどうでしょうか。「わからなかった」以前に、「存在を知らなかった」わけです。
知らないものは調べようがありませんから、わかる、わからない以前の問題です。几帳面に調べる人でも、「調べよう」というとっかかりが無ければ調べようと思うことすらできません。
「何がわからないのか、知らないからわからない」という状態ですね。
何がわからないのかがわかれば、解決に向かうことができる
ここまで、「何がわからないのがわからない」のはなぜかを見てきました。「何がわからないのか」がわかれば、そこから調べたり、理解を深めたり、行動を起こしたりすることができます。
「何がわからないのがわからない」状態の人がいたとき、上記のいずれの状態なのかがわかれば、「何がわからないのがわからない」状態脱出する手助けができるでしょう。